天使と悪魔の記録

 

強さの秘密

こなつは強い。
転んだくらいじゃ泣かないし、お友達に叩かれたって泣かない。
ケンカは連戦連勝、ほとんど身の程知らずで誰にでも挑んでゆく。

よって、私はいつも謝りっぱなしだ。
公園で謝り、児童館で謝り、道端でも謝り続ける始末(;_;)。
おかげですっかり、腰は曲がり、肌は曲がり立ち直れないほど…。

何で、こんなに強いかなー。
私も夫もそんなにケンカ早いわけじゃなし、どっちかって言えば、
平和主義だ(にえきらないやつとも言う)。
考えられるとすれば唯一つ。
それは、受精卵にまでさかのぼる。

私たち夫婦は、二人とも子供ので気にくい体質だった。
私ができにくそうだというのは何となくわかっていたので、結婚してすぐに病院
へ通い始めた。
(不妊の治療についてはそのうちに妊娠までに道のりという項目をつくって紹介
しますので、
ここでは省きます。)
こなつを授かったころ私は、子供はほとんどあきらめていた。
5年同じ治療してるのにできないって事は、もう無理なんじゃないかって思い初
めていたし、
ねこのちこちゃんがかわいくてかわいくて、子供いなくても結構楽しいよなーと
思い初めていたのだ。
だから、不妊治療にも自然と身が入らなくなっていたのだ。
当時、私が通っていた病院のS先生はで、患者の気持ちをまず一番に考えて下さ
る先生だった。
女医さんだったので、女性の気持ちも良くわかって下さり
「疲れたときは、治療も休めばいいわよ。」と、常々言ってくださった。
それ以前に通っていた病院では、「一度治療を休むとまた最初からになります
よ。」
と脅迫(笑)されていたので、そういった言葉は本当にありがたかったし、
休めることに安心感も抱かせてもらっていた。
先生のお言葉にすっかり甘え、さぼりながら申し訳程度に治療を続ける日々が続
いていた。
1996年7月の治療日。
私は排卵しにくい体質で、原因はわからないが左右ある卵巣のうち右からしか排
卵しなかった。
いつもどうりに注射による排卵誘発を行っていたが、
7月は左しか卵が発育しておらず、排卵はしそうもない。おまけに夫の体調も非
常に悪かった。
今回の妊娠はないだろうと思いつつ、一応の治療は行った。
しかし、妊娠しやすくするための黄体ホルモンの注射は無駄と思いやめた。
さらに、どうせ妊娠しないだろうと、思いっきり強いアレルギー性じん麻疹のク
スリも服用した。
でも、一応基礎体温だけは付けた。
治療の次の日、高体温。て、ことは排卵したことになる。
右の卵が不成長のまま排卵したんだろうと思い、あんまり期待はしなかった。
でも、その次の日ぐらいからすこぶる体調が悪くなった。
貧血状態がずっと続く。だるい。ふらふらする。なんだこれは…。
と、思いつつも妊娠とは結びつかない。
でも、普段なら12日くらいで体温が下がり初め、生理になるのだか体温が下が
らない。
一日、二日遅れることはあるなあ、と思う数日過ごすがやはり下がらない。
体調はすこぶる悪い。
高温期が21日以上続けば間違いなく妊娠したことになる。
21日目の日、私は今一信じられなかったので、夫にも妊娠の可能性を告げず病
院へ行った。
尿を取り結果を待つ。顔見知りの看護婦さんや、事務員の方が私を見てにこにこ
している。
んー、これは…、と思いはじめたとき先生に呼ばれた。
「おめでとう予定日は4月13日ですよ。」
その瞬間私をよぎったのは喜びよりも不安だった。
「先生、クスリ飲んじゃったよ…。」
「今の時期は大丈夫よ。強いクスリを飲んで退治に影響がある場合は着床(つまり
妊娠)はしないから。」
私はしばしあっけにとられていた。絶対に子供はできないだろうと思っていたの
に、妊娠〜?
でも、事実だった。私は妊娠したのだ!

不完全な左の卵巣からの排卵。
状態の非常に悪い精子。
強いクスリによる着床への障害。
これらの悪い条件を物ともせずに、こなつは命を得た。
要するにものすごく運が良くて、ものすごく強い受精卵だったわけだ。

だから、こなつは強いんだと思う。決して、私が気が強いせいではない。

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