天使と悪魔の記録

 

産まれた、その2

こなつを産んだ国立病院では、親子同室である。
だから授乳室は別にあり、赤ちゃんが泣くとその部屋へ行く。
こなつはすでに昼夜逆転していて、お見舞いの方が来てくれているときはぐうぐ
う寝ていて、
夜中になると起きて泣く。
夜中に授乳室に行くと、大抵同じようなメンバーがどういうわけか揃う。
同じころに、初めて子供を産み、強烈な睡魔と戦いながら夜中にいると、
強いきずなで結ばれているような気になってくる。
みんなドーナッツ座布団を引き(ここが重要)、妊娠中の苦労話しや、産みの苦
しみを披露しあう。
下を向くたびに吐いてた、食べるたびに吐くうちに快感になったなど、
悪阻の恐怖を聞くと吐く悪阻じゃなくてよかったなあとつくづく思う。

LDRにはA、B室と二つあったのだが、難産だった人はA、安産だった人はBと不思
議なことに別れた。
(もちろん私はB室)。
A室は呪われているようだった。Kさんは48時間かかって、ほとんど失神状態
だったらしい。
Wさんも39時間苦しんだうえに、分娩台の上に8時間いたらしい…。
あの格好で8時間ですぜ…(;_;)。
それに比べてB室グループの早いこと早いこと。
私の8時間が一番遅く、Mさんは何と初産で一時間、KTさんも初産で1時間半
だった。
も、もう一回産める…。
でも、産んだ後だからこんなことが気楽に言えるのだ。
だって、お産の痛みってあんなに痛かったのに、産んだとたんにどんな痛みだっ
たか覚えてない…。
今まで、経験したことがないくらい痛かったから(最後の最後のとこだけね)
比べようがなくて覚えていられないんだと思う。

これから子供を産む方に私が言えることは、
耐えれられない位痛くなったら、その時は生まれるときです。
だから、痛いのは一瞬だよ(すんごく長い一瞬だけど)ってことです。

女性っていうのは本当に不思議で、あんなに苦しんだのに二人目をまた産む気に
なる。
この時、授乳室で一緒だった人たちとは、年に一度くらいの割で集まるのだが
もう大抵二人目を出産したか、妊娠中だ。
下を向くたびに吐き、48時間苦しんだKさんも二人目は比較的に産んだようだ
った。
やっぱり、忘れちゃうから産めるんだよね(笑)。
(私は、もう不妊の治療はしたくないから産まないけど。歳だし…(;_;))

抜糸が大体5日目にある。この日を境に、ドーナッツ座布団から開放される(笑)。
私の場合は、お産の時にあちこち傷ついて6針縫ったが、
大抵は2,3針で溶ける糸だから抜糸もないらしい。
抜糸が無事終わり、部屋の戻る。
こなつを抱いて授乳室にく時、何かの拍子でドアが閉まりかけた。
両手を使えない私は、とっさに足でドアを押さえてしまった。
ビキッ!たった今抜糸を終えたところに鋭い痛みが走る。
「ぎゃー!」
私は結局、この時の後遺症に約一年苦しめられた…。

教訓その2,抜糸のすぐあとに両足を大きく広げるのはやめましょう…(;_;)。

お産は七日帰りを避けるために、経産婦さんは6日、初産の方は8日で退院する。
病院は楽だったが、ちこちゃんのことも心配だったので早く退院したかった。
帰りたい理由に、もう一つ。
ご飯がまずい!!!
本当にまずい!だって、朝食のおかずにねこの餌みたいな
醤油で煮込んだマグロの缶詰めがでるんですぜ!
母乳を出すために、母親には特別にデザートがつくのだが
それが何と甘食!甘食ったって、ぱさぱさで味なんかあ
りゃしない!
個人病院なら、ステーキにケーキがでるらしい…。
でも、それで得したことが一つ。
体重があっ!という間に元に戻ってしまった。
だって、まずくて食べられない!
私は妊娠中ずっと+8キロできて、産む寸前で+10キロになったが、
こなつを産んで−5キロ、退院するときにはもう戻っていた。
私だけでなく、ほとんどのお母さんが元に戻っていた。
結果的に、まずくてオッケーか…?

いよいよ退院の日の早朝、テレビをつけるとペルー大使館立てこもり事件が解決。
人質225人が無事解放のニュースがやっていた。

武力解決…。こなつの退院の日のニュースにはあまりにぴったりだった…。
今から思えばだけど。

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