天使と悪魔の記録

 

マタニティ・ブルー

家での生活が始まった。私には、母親がいないし、
夫の両親との同居だからそのまま自宅へ帰ってきたわけだが、
義母は仕事を持っていたし、とても活発な人なのでいつも家にいない(笑)。
夫は、まだその頃は自営業ではなかったが、広告制作という仕事の都合上
家へ帰るのは絶対深夜だ。零時前に帰れることは、まず無い。

当然、退院した次の日からこなつとふたりきりの生活が始まった。
(義父はいたが、こういうときは全然役に立たない(笑))
朝こなつにお乳をあげて、ちこの毛が心配だから、まず掃除から始まる。
掃除機の音で、もうこなつは泣きだす。
「おぎゃあー、おぎゃあー!!」
こなつの泣き声にむちゃくちゃ心が痛む。
「ごめんね、すぐに終らせたら抱っこするからねー。」
声をかけながら、大急ぎで掃除をする。
洗濯機を回しながら、こなつの肌着は別に手洗いする
(初めての子だからねー、2番目の子ならいきなり全部洗濯機だな)。
掃除機をかけ終ったころに、洗濯物を干す。
「ぶぎゃあー、ぶぎゃあー!!」
こなつの声はいっそう激しくなる。
向かいのおじさんがベランダの私に
「泣いてるよー!」
と、声をかける。
(わかってんだよーー!!!)
全部終ってやっとこなつを抱く。
抱かれれば、こなつはすぐに泣きやむ。
「抱き癖」がついてるって言うことなんだけど、
私自身は抱き癖って言葉自体がおかしいと思っていた。
抱っこできるときはずっと抱っこしていたいと思っていたし、
抱かれて泣きやむならこんなに、幸せなことはないと思っていた。
(でも、家事しているときは泣かせっぱなしって事になるんだけど…。)
そうこうしているうちにお昼で、お乳を出すためには何か食べなければならず、

また泣かすことになる。大体こなつは寝ない子だった。
お乳を飲んで寝たかなーと思いベッドに下ろすと、ぱちっと目が明く。
抱っこじゃないと寝ないという、贅沢で手のかかる子だったのだ。
夕食は義母が作ってくれたが、それ以外は全部一人でしなければならない。
そのうちに、だんだん私の心はゆとりがなくなっていった。
泣かせていることが辛いし、やることがとにかく多い。
深夜の戻ってくる夫に、
「もう少し早く帰ってこれない?」と、今まで一度も言ったことが無かった言葉
を言った。
夫は困った顔をしたが、何も答えなかった。
休みの日に、一人で出かけて行く夫にイライラが募る。
「休みの日くらい家にいてよー!」
あぁ、これは私が一番嫌いな言葉だ…。

私はふと我に返った。このイライラ感はなんだ…?
もしかして、マタニティー・ブルー?
妊娠中に妊娠モードになっていた女性ホルモンが、出産と同時に元に戻ることによって
起こる一種の一過性鬱状態で、出産後5日くらいからでるらしい。
だから、今この時期はその期間にはてはまらない筈だが、
私の場合、不妊治療でホルモン剤を多用していたせいで子宮の戻りがかなり悪かった。
(普通の人が1月で終る悪露も、私の場合4ヶ月以上続いた。)
そうだ、これはマタニティ・ブルーだ!
私は、勝手に結論づけた。なんだ、それなら仕方ないじゃん。私のせいじゃないんだから!
開き直ったら、急に心が軽くなった。
そうなると、立ち直るのは早い!
泣くのも運動と、割りきれるようになった。
夫の休日の外出も、減った(これは怪我の功名)。
3ヶ月頃になると、こなつも掃除している間は構ってもらえないと悟り、
いつの間にか泣かずに、掃除している私をずっと目で追っているようになった。

あれが、マタニティ・ブルーだったのかどうかは今だに不明だが、
初めてのことで、心にゆとりがなさすぎたのかも…。
やっぱり産後は、帰れる家があるといいよねえ。

(C) Copyright 2001 nachi All rights reserved. Update : 2002/09/25 Goto HOME