雑文林

 

京都の旅館

私は京都が好きだ。
独身時代はもちろん、こなつを妊娠するまでは毎年のように旅行していた。

京都に出かけるときは、大抵テーマを決めていた。
たとえば、幕末なら伏見や壬生を回り、
平安時代をテーマにするときは
嵯峨野や、大原を訪ねた。
友人ともよく出かけたが、大抵が一人で行った。
遠いので、滅多に行けるものではない。
だから京都へ行ったときは、なるべく色々なところへ行きたいと思う。
でも、連れがいると楽しいのだが、好きなところへ好きなように回れない。
必然的に、一人旅の方が多くなった。

しかし女の一人旅で困ったのは、泊まる所だった。
ホテルならシングルで取りやすかったが、
京都に来てホテルも味気ない。
なるべくなら京都らしい旅館に泊まりたかったが、
大抵は断られた。
一人では採算が合わないのと、ふいの客は敬遠する土地柄もある。
でも断られれば、断られるほど旅館への(しかも祇園)
憧れは募るばかり。
夏休みに京都へ出かけるとき、駄目元で祇園の小さな旅館に電話をしてみた。
男性が電話に出て、「小さいお部屋でよかったらどうぞ。」
と、あっけないほど簡単に予約を入れてくれた。
耳を疑ったが、取れたものは取れた。
その時の京都行きは、いつもの数倍も楽しみになった。

高台寺にほど近いその旅館は、こじんまりとした、
いかにも京都らしい風情の旅館だった。
一目見て、ああこういう旅館に泊まりたかったんだよぉおと、
涙が出るほど感動した。
おかみさんもきれいな方で、
お部屋もきれいで、もう絶対ここを定宿にしようと決めた。
京都の旅館は、一度泊めていただくと次は容易に予約を入れてくれる。
何度か泊めていただくうちに、おかみさんとも親しくなり
個人的な話しもするようになった。
おかみさんはもともと東京の方で(しかも下町)
京都にお嫁に来て、それはそれは苦労された方だった。
まず、言葉。お客さん商売で、しかも祇園の女将ともなると、
微妙な発音の違いも許されなかったようだ。
私が聞けば、とても美しい京都弁に聞こえたが、
それでもまだ京都人としては認められていないという。
もう、嫁いで30年以上たっていたのに…。
他にも、考えられないほどの苦労があったようだ。
たとえば、掃除。道の掃除は早朝に済ませなければいけない。
そして、自分の前の道を掃くだけでなく、
左右のお隣の約10センチまでの敷地も掃かなければいけないそうだ。
じつは、この10センチが重要らしい。
これ以上掃けば、おせっかいになり
これ以下だと、自分のところだけきれいにしている
ということになってしまうらしい。
その他、道に面した窓は10センチ程あけておく。
誰でも覗ける、10センチだけ自分の家をオープンにするという意味だ。
これも、これ以上開いているとはしたなくなり、
全部閉じておくと、あそこの家はつき合いが悪いということになるという。
洗濯物の干し時間も決まっている。
でも、よくよく考えると、これはご近所への思いやりであり、
日本人古来の、美しい礼儀とも思う。
なぜこれが窮屈に感じるかというと、
このこと全てが、絶対に守らなければならない決まりだからだ。
たとえば、今日は疲れたから掃除は休もうとか、
具合が悪いから洗濯はやめようというのが許されないらしい。
いつでも、どんなときでもこの町にいるかぎり
それは守らなければならない。
おかみさんは一度だけそっと、
「ここの人は意地悪や。」と言った。
「負けん気が強くて、ここまでやって来られた。」
ともいって、朗らかに笑った。
この旅館は、外国からのお客さんもよく泊まる。
おかみさんは、生来の負けん気の強さで、
NHKラジオ講座で英語を完璧に覚えた。
ここまでの人だから、東京もんが祇園で生きて来られたんだなと思う。
私は、このおかみさんを心から尊敬している。
ここに泊めていただくようになって、
京都の実質の裏側まで見せていただけたような気がする。
何度目かにお世話になったときに、
どうして、初めてのとき簡単に予約がとれたのか聞いたことがある。
おかみさんは、また朗らかに笑って、
「主人がでてしまって、予約を入れてしまった。」
と、言った。
あの時、おかみさんが電話に出ていたら断られたのかもしれない。
ラッキーだった(笑)。

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