雑文林

 

子供の頃の夏休み

私の田舎は栃木県にあった。
宇都宮から少し離れた、小さな町だ。
駅は無人駅で、1時間に2本程度の電車が来る。
まわりには何もなく、畑と民家がぽつりとあるだけ。
それでも、東京育ちの私には素晴らしく楽しいところだった。

朝起きると、まず畑に行く。
夏なのにしんと冷たい空気、朝露にぬれた畑への道。
体中の細胞がよみがえるような、澄みきった空気。
キュウリと茄子を人数分、祖母と採る。
キュウリは浅漬けに、茄子とはおみそ汁に入れる。
シンプルな朝食だが、とれたての野菜が食べられる幸せ。
このときはまだ小学生だから、そのありがたみなど感じていなかったが、
今も思い出すあの時の味は、今の生活では味わえない。

昼まで5頭いた犬や、数えきれないほどいたねこと遊んで過ごす。
昼近くなると、リヤカーを引いたパン屋さんが近くの空き地に来る。
コッペパンに白い偽物クリーム(笑)をはさみ、
赤いゼリーをのせた菓子パンを必ず買ってもらった。
家でなら、お昼ご飯に菓子パンなんてとんでもないと怒られるところだが、
祖母は何も言わずにいつも買ってくれた。

おやつを採りにまた畑に行く。
トウモロコシや、西瓜などを採る。
家族総出で、じゃがいもを掘ったこともあった。
じゃがいもは皮ごとゆでて、お醤油をつけて食べる。
栃木はどちらかというと濃いめの味付けなので、塩やバターより醤油だった。

晩ご飯が終われば、カヤを吊っての就寝。
夜中じゅう、ねこが運動会を繰り広げていた。

お盆になると、仏様をお墓に迎えに行く。
おじさんがお墓に背中を向け、背負って連れて帰る。
夕飯は少し豪華になる。

隣の町の盆踊りにも出かけた。
なぜか、東京音頭だった(笑)。
結構、楽しんで踊った記憶がある。
こなつの盆踊り好きは、案外私に似たのかも。

お盆には、おじさんの実家へも出かけた(おじさんは養子)。
おじさんの家は、かんぴょう農家だった。
かんぴょうはユウガオの実で、西瓜に似ている。
実の中心に棒をさし鉛筆削りを回すように、
外側から実を薄く削っていく。
白くて長いヒモ状のかんぴょうを、竿に干していく。
かんぴょうがひらひら揺れる下で、いとこと鬼ごっこした。
お土産にたくさんのかんぴょうをいただいたが、
私はかんぴょうが嫌いだった(笑)。

朝、いとこと早起きをしてかぶと虫取りにも出かけた。
桃の木の下を思いっきり蹴ると、
上からぼたぼたとカブトムシやクワガタが落ちてくる。
朝捕るのがポイントで、陽が上がってからでは捕れないと
いとこが教えてくれた。

夕暮れ時、犬の散歩に近くの山にも登った。
犬も首輪を外してもらい、好き勝手に走り回る。
秋には、この山で採れる栗を送ってもらった。

栃木は雷が名物。
夕方になると、夕立とともによく雷が鳴った。
稲妻が横に走る姿は、怖いより美しかった。
秋田犬の太郎が脅えて、大きな身体をすり付けてくる。
震える太郎を抱きながら、その美しい稲妻を飽きずにみていた。
「目が見えなくなるよ!」と言う、祖母の声に少し脅えながら。

蜩の声が聞こえはじめると、夏休みも終わりに近づく。
いとこ達と大急ぎで、宿題をやる。
宿題が終わると、東京に帰る前の贅沢と、
宇都宮のデパートへ連れていってもらえた。
デパートの食堂でお子様ランチを食べるとき、
タバスコをケチャップと間違えて大量にかけて大泣きした。
祖母が「ばかだね。」と怒りながら、
自分のハンバーグと交換してくれた。
タバスコの存在を知ったのは、この時(笑)。
屋上の遊具で遊び、新しい服を買ってもらう。
東京へのお土産も買う。

恒例のデパートツアーが終わると、
父が車で向かえに来る。
すっかり栃木訛りになっている私の言葉に、父が笑う。
今でもアクセントが違う言葉がでるのは、このころの影響だろう。

今は祖母も寝たきりになり、代が変わった。
あの小さな町にも都市化が進み、あの頃の面影はなくなってしまった。
でも子供の頃の夏休みは、大人になっても財産だ。
私に遊びに行ける田舎があったのは、とても幸せなことだったと思う。
そして、こなつにこういった夏休みを過ごさせてあげられないことを、
とても残念に思う。

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